佐賀新聞掲載コラム日だまり-P18


■佐賀発信、日本近代化産業プロローグ  掲載日2009.02.24

   私達は自分の住んでいる町の事をどれ程知っているだろうか。
 遠い昔、日本が鎖国をしていた時代、唯一海外との窓口となっていた長崎港の警備を担当していたのが佐賀藩である。そこから西洋の情報が佐賀に入ってきた。
 伊東玄朴ら佐賀の蘭学者により様々な西洋の技術書が翻訳されていく。そして西洋の産業革命から生まれた蒸気機関などの近代技術が、有田の窯業技術や肥前刀の刀鍛冶、石工等、昔から佐賀にあった感性豊かで繊細な伝統技術と、東洋のエジソンと言われた田中儀右衛門の知恵をもって融合し、日本独自の近代技術産業へと変貌して行く。
 独自の近代化を成し遂げ、アジアの奇蹟と言われる近代技術先進国として世界をリードしてきた日本。その物語のプロローグは、この佐賀から始まる。
 からくり儀右衛門ら日本の天才学者と佐賀藩の優秀な技術者が共に近代科学を追求した研究所や実験場、工作場跡が佐賀にあった事を現在の私達はあまり知らない。人類の近代科学を感性豊かで繊細な伝統技術をもって更に高度な科学技術産業まで押し進めた世界遺産級の遺跡は今も佐賀の土の中に眠っている。
(アルフデザイン代表 三原宏樹)