佐賀新聞掲載コラム日だまり-P1

■「まちづくり」に必要なもの 掲載日2003.06.03

「まちづくり」という言葉を、最近よく聞く。簡単な言葉だが非常に理解しにくい言葉である。 「まちづくり」とは、町を造るというハードの部分が先にあるのではなく、市民活動やコミュニティーなどの集合体が先にあり、人が集まることから自然に発展していくものであろう。
そこには、人の感性が存在し、感動や、喜びを演出する要素を介在させることが必要である。
一九九八年佐賀市の中心商店街に出現した第三セクター「まちづくり佐賀」は市民の期待とは裏腹に、四年十カ月で解散した。 一方で、空き店舗が広がる同市中心商店街で最近、唯一活気があり増殖し続けるのは、若いスタッフで運営されている飲食店である。
左官壁や裸でむき出しの木材を組み合わせた空間などで食と酒を提供している。彼らのお金を掛けない手作りの「もてなし」は、佐賀の若い人たちにフィットしているようだ。そのような「もてなし」の心こそ、多額の資金や箱ものより「まちづくり」には必要なことではないだろうか。
(アルフデザイン代表 三原宏樹)

■市民動けば社会も動く 掲載日2003.07.05

「結い」という言葉がある。それはかつて地域社会で人が生きていくための手段であった。物事の価値が貨幣に置き換えられるようになり、地域社会での「結い」は薄くなって、結果、地域社会は数多くの大切なものを失ってきた。
環境を守り、地域の歴史、文化、伝統産業や技術を次世代に守り育て引継いでいくために、また、老人、子どもや社会的弱者も含め、皆が生きがいを持てるような社会形成のために、人と人の繋(つな)がり、すなわち「結い」が必要である。 今、新しい形での「結い」が方々で生まれている。それは、福祉関係、教育関係、まちづくり関係などのさまざまな市民活動団体だ。
私の所属するNPO「まちづくり研究所」を含め言えることは、それぞれの市民活動団体の最初の切り口は違っていても、根底の部分では、同じ思いの団体が多いことである。
あらゆる面で行き詰まっている社会の現状を打開するために今必要なのは、「結い」で繋がる複数の市民活動団体が、手を繋ぎ、共に動きだすことであろう。
政治でも行政でもない、市民主導で社会が動きだすことが今、必要ではないだろうか。
(アルフデザイン代表 三原宏樹)

■日本家屋の記憶 掲載日2003.08.12

健康住宅と称し高気密、高断熱仕様の住宅がたくさん建っている。これらの住宅のほとんどが個室の集合体で構成されていることが多く、高温多湿に合った、日本家屋本来の在り方と全く正反対の建て方である。家族の気配がわからない住空間は、家族のコミュニケーションを危うくする。
外からの自然な空気が、通り抜けない住空間は、電源の入っていない冷蔵庫に例えられるようにカビ、ダニの増殖する危ない空間になりやすい。
欧米とは違う、靴を脱ぐ習慣の日本家屋の生活では、畳や板の間の感触を素足で感じ、土、漆喰(しっくい)や紙などの自然素材のテクスチャーにじかに触り、そして、その質感を記憶の中にとどめてきたように思う。日本人が、畳の文化から抜けきれないといわれるゆえんは、そんな素材の記憶からくるものであろう。
日本の心というべき、この記憶こそが次世代に伝える重要な文化遺産なのかもしれない。そんな記憶が消えていくことに危機感を感じているのは、私だけであろうか。
(アルフデザイン代表 三原宏樹)

■生活者の視点で「まちづくり」 掲載日2003.09.30

八月二十三日、佐賀市呉服元町の願正寺の本堂で、NPOまちづくり研究所がシンポジウムを行った。同研究所がそこで出した提案は、生活者の視点での?まちづくり?であった。
社会がある程度成熟し、地域の特色や快適さが求められるようになってきた現在では、行政主導の?まちづくり?より、生活者や利用者が自分たちで考える?まちづくり?が必要である。
パネリストの古川知事は、緑の多い、花いっぱいの街路づくりなどは、行政が行うと失敗する。それは、そこに住む生活者がみんなで行う?まちづくり?である、と言われた。パネリストの石山修武氏からは、みんなで川歩き体験をし、ごみを拾いながら、川の中からの視線で街を眺めるイベントをNPOで行ったらどうかという意見を頂いた。実に面白そうである。
高齢者や子どもたちが社会から孤立し、コストのかかる社会になっている。これからは、NPOなどの組織による、コストのかからない生活者の視点での?まちづくり?マネジメントが必要ではないだろうか。
(アルフデザイン代表 三原宏樹)